新宿ピカデリー:永遠の門 ゴッホの見た未来

2020.1.8
以前行ったゴッホ展がとてもよかったので、映画”永遠の門 ゴッホの見た未来”を新宿ピカデリーで観てきた。

水曜日はレディスデー、あらかじめ新宿ピカデリーのネット予約で席を確保。

しかし私はこの時点ですでに映画を観る高揚感とは真逆に底まで落ちていた。

なんで塩バターポップコーンがないの?

映画のお供はポップコーン、ポップコーンといえばバターオイルをかかっている物でなくてはならないを決めている私からすると、これはもうポップコーンではない。

映画観に行くなんてものは半分ギャンブル、面白いか面白くないか、好きな映画だったか嫌いだったか。予告編ではいいところだけつなぎ合わせてまるで小気味いい作品であるかのように仕立て上げて本編へ誘導するし、あまりにも本編と予告編で高低差があるとその詐欺加減の方が本編より面白いこともある。
本編の監督より予告作ってるヤツのほうが才能あんじゃないの?みたいなケースも存在する。

また、Netflixなどの定額配信サービスで観るのと比べて1回観るのに1900円かかり(新宿ピカデリー一般価格)(今日の私はレディスデーで1200円だったけど)音を立てないよう気を使い、途中退場もしづらい。

そんな金と配慮をかけたギャンブルに負けた時、「でもポップコーン美味しかったからいっか!」とリスクヘッジしてくれるのがバターオイルがかかったポップコーンなのに!!

ああこれはもう絶対に映画が面白くないとやってられませんわ、こっちだってわざわざ電車乗って新宿まで赴いて映画観ておもしろくない、バターオイルのかかったポップコーンも食べられないなんて負け戦になったら目も当てられませんわ、いやまあ結果から言って面白かったね

まず映像美。撮影するシーン選びがいいのか、実写なのにゴッホが描いた絵の中にいるように思えてくる。
メインビジュアルの麦畑のような場所を歩いている場面も”ひまわり”や”雨空の干し草の山”を思わせるようなゴッホイエローでゴッホが描いたかのよう。

雨空の干し草の山 1890年

そして主役の迫力。もう実在のゴッホを見たことがある人はこの世にいないだろうけど、誰もが見たことがあるゴッホの自画像にそっくりだし、そこに演技力が加わってゴッホのひどく不安そうな表情が物語のリアリティを出している。
ゴッホってこんなに愛おしい人間だったの? と思わせる。

さらにゴッホの狂人ぶりを”ただの狂人”だけにしておかないストーリーがさらにゴッホを愛おしい人にさせる。
自分の常識とはかけ離れてしまった人を日常でもよく見かけるけど
(映画終了後に地元の大戸屋で遅めのお昼ご飯食べてたら大戸屋の店外のメニュー見ながらドリカムのLOVE LOVE LOVEを大声で歌ってるおじさんがいてびっくりしちゃった)
こういう人達のストーリーを見ればただの”変な人”やら”イカれた人”と一概にくくることができなくなる。

あれだけポップコーンと映画論で熱く語っていたくせに年間映画視聴数がそんなに多くないので上手く言えないけど、Netflixオリジナルドラマの”ストレンジャーシングス”のシーズン1で息子の生存を信じて「息子を会話するためにクリスマスの照明が必要なのよ!」と周りをドン引きさせるバイヤーズ夫人や、
”嫌われ松子の一生”で松子の人生を振り返っている本編自体が松子が好きなアイドルに自身の半生を伝えるために小説ほどにもなろうという分厚い手紙をしたためる為だったという具合に、狂人の狂人たる背景を見れば情も沸く。

そして自身の中に飼っている狂人に傷つくゴッホを慰めるゴッホの弟・テオとの愛(なんとなく兄弟愛や家族愛ではなく”愛”という感じ)もいい。

からの、もう何回言われているかわからない言葉だとはわかっているけどもうこの言葉しか浮かばない、衝撃のラスト

私だってやだよ、使い古されている、使い古されすぎている、もう聞き飽きた、類義語は「感動の実話」 「全米が泣いた」 「この夏、最高の感動をあなたに―」。

でも別にこのラストじゃなかったとしても、ここに至るまでの過程がすごくよかったから見る価値ある。

あまりセリフは多くない。ゴッホが人と話しているシーンと誰とも話していないシーンが半々くらいだし、シーンの説明も多くない、伏線やトリックが隠されている訳でもない。だけど淡々と起こっている事を咀嚼できる人・美術展に行って絵を見る事を楽しめる人は最後まで退屈せずに観れると思う。

またセリフが少ない分、金言が多くてメモできなかったのが悔やまれる。できればもう一回観たい、メモできる環境で観たいからNetflixに上がってこないかなー

以下は作中に出てきた絵画をメモとして覚えているだけ。

フィンセント・ファン・ゴッホ ライラック 1887年

「花は枯れるが、絵は枯れない」といって描いていた花。
ゴッホは花を沢山書いていたのでこの作品ではないかもしれないけど、確かピンクの花だった。

フィンセント・ファン・ゴッホ 1足の靴 1888年8月

冒頭でおもむろに靴を脱いで書き始めた靴の絵。他にも靴の絵は描いているけど、背景がレンガなのはこの絵だけだったので作中の絵に近い。

フィンセント・ファン・ゴッホ 郵便配達人ジョゼフ・ルーラン  1888年8月初頭

黄色い部屋を貸してくれて、ゴッホに「君の絵を描かせてほしい」と言われた郵便配達員。

フィンセント・ファン・ゴッホ アルルの女(ジヌー夫人)  1888年11月
ポール・ゴーギャン アルルの夜のカフェで 1888年

ゴッホに相手にされなかったからか、露骨にゴッホに描かれるのを嫌がっていたジヌー夫人。上はゴッホ、下はゴーギャンが描いたもの。
ゴッホはジヌー夫人も繰り返し描いている。

フィンセント・ファン・ゴッホ 医師ガシェの肖像 1890年6月

ゴッホに「笑わないで、表情を崩さないで」と言われながら描いた” 医師ガシェの肖像 ”。よくもまああんな似てる俳優さん探し当てたなぁ…

フィンセント・ファン・ゴッホ 2羽の兎のいる畑 1889年12月

病院に入院している時訪ねてきた聖職者に「不愉快」と言われた絵。マッツ・ミケルセンだからって調子乗りやがって。

フィンセント・ファン・ゴッホ 悲しむ老人(永遠の門) 1890年4月-5月

最後に映画のタイトルにもある”永遠の門”と冠されている絵。これは今回のゴッホ展でも展示されている。

(フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧 より)

最後に出てきた少年2人は誰なのか。
個人的には①医師ガシェの息子 もしくは前半に出てきた②ゴッホに石を投げつけた少年 のどちらかを暗示しているのではないかと思った。
②の少年と会った場所からはすでに引っ越しているため可能性は低いと思うけど「父さんには言わないで」と言っていた事から”父”が既に登場している、銃で撃たれた後にゴッホが”父”に言う可能性がある人間と思うと、①医師ガシェの息子、ポール(ゴッホの死亡時17歳)の可能性が高いと思う。

あとは何故ゴッホを殺したのか、絵を隠すように埋めたのか…

やっぱりもう一回観たいなぁ。